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薬剤師国家試験に落ちた彼女を、僕は隣で見ていた〜自己採点後の二週間の話

 「薬剤師国家試験に落ちた彼女を、僕は隣で見ていた」第ニ話。2014年第99回薬剤師国家試験後の自己採点で、落ちたことがわかってからの話。

 

この記事は、第一話(薬剤師国家試験に落ちた彼女を、僕は隣で見ていた)のつづきになります

 

2014年3月2日自己採点後~

 入力し直しても、不合格を示すパソコンの画面……茫然自失の僕とは違い、彼女の行動は早かった。国家試験の正式な結果は3月後半(この年は31日)にわかるのだが、自己採点後の一ヶ月の過ごし方はそれによって全く異なる。あくまで彼女の場合であるが、

 

 合格ならば

  • 4月初旬から福岡にある内定先の病院で働くため、内定先に合格見込みの連絡。
  • (大学がある)名古屋のマンションを引き払い、福岡に一度帰省する。新生活の準備に取り掛かる。
  • 澪ちゃんと卒業旅行1へ出発→帰省→卒業旅行2(研究室)→入社式へ。

 

 という予定だったのだ。

 まず、引っ越しの中止が決まった。その最大の理由は、名古屋にある薬剤師国家試験対策予備校に通うためだ。大学六年を過ごした土地というだけでなく、予備校の講師が毎日のように大学で授業をしていたらしい。福岡にもあるものの、実家から通うには遠い。また、講師陣の特徴や癖もわからない点に加え、新しい環境に馴染む労力も必要なので、現実的ではなかった。

「真面目に勉強して通らんかったけ、自分でやってもたかが知れとる。既卒の合格率は年数重ねる毎に悪化するって言われとるし」

 と、彼女は言っていた。もちろん、予備校に行ったからと言って必ず受かるとは限らない。それでも、「予備校には絶対に行かなければならない」という意志を彼女から感じたことを覚えている。

 そして、二日後に迫った澪ちゃんとの卒業旅行をどうするか……二人とも自己採点では不合格だったので、とても旅行など行く気分ではないだろう……だからと言って、直前キャンセルはキャンセル料が膨大になる。後述するが、薬学部の人間が思いっきり羽根を伸ばせる期間は六年間でこのタイミングしかないのも確かなのだ。こればかりは相談しなければならないということで、彼女は再び部屋を出た。

 

 電話を終えた彼女の話を聞くと、どうやら親御さんは意思を尊重してくれたらしい。

「友達もおるしそっちの方が良いかもねって言ってくれた」

 ただ、

「あと一年間しかお金は出してあげれない」

 とのことだった。もしまた落ちてしまったら、「福岡に帰っておいで」と。

 そして、澪ちゃんと相談した結果、二日後の旅行には行くことになった。その一方で、研究室の卒業旅行には参加しないことも決定。


 ――国家試験とは別に、学校を卒業するための卒業試験が2月にあった。この時期は本当に多忙だったが、4月から始まる新生活の家探しのために二日間だけ帰省→すぐに名古屋へ帰ってきた彼女を思い出す。また、就職用に車も買う予定もあった。ただ、彼女の姉が結婚するという理由で、正規ディーラーの中古車から選ぶことにしていたらしい。他にも色々と、合格を機に新しい生活が始まる……はずだった。が、全ては白紙に戻り、全てのお金は予備校や生活費に充てられることになった。

 彼女はまた、内定先の病院にも連絡をしていた。どうやらこの年の国家試験の評判は既に広がっていたようで

「今年は合格率が低いみたいやね。でも、正式発表まではどうなるかわからないから」

 と言われたと教えてくれた。


 現実に打ちひしがれるのではなく、やるべきことをこなす彼女を見て、再び心の強さを感じたことを覚えている。なぜならば、ただ働くだけの職場ではなく、彼女にとっては夢を叶えるための職場だったから。夢を叶えるチャンスを逃してしまった失望よりも、周囲の迷惑を考えてやるべきことをこなす。

 もしかしたら、あと一年間だけ挑戦できるという希望を感じていたのかもしれない。しかし一方で、「あと一年しかない」という現実の重みを、深く理解していたことをその表情を見て悟った。

 そして二日後、彼女がヨーロッパに旅立って、僕は名古屋で一人になった。

 

薬学部で六年学ぶには運が必要

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 ここで少し薬学部について説明したい。大学で六年間を過ごし国家試験に合格することで、晴れて薬剤師になれる。最大のメリットはやはり免許が手に入ること。免許があれば、どの土地でも生きて行ける。

 ただ、勉強は大変だと言わざるを得ない。彼女が持っていた国試対策の教科書九冊を合計した厚みは、縦25.8センチ×横18.4センチ×高さ29センチ(自分調べ)。重さに至っては11.35キロだった。

 そして、これらは国試用のみであり、六年分の教科書はまた別にある(そして値段も高い)。もちろん、これらを暗記するのも大切だが、暗記した上で問題を理解して解く応用力が最も求められるとのこと。ちなみに、これは四年制の時にはなく、六年制になってから求められるようになったと言われている。


 国試の他にも、

  • 四年生になると、CBTと呼ばれる適性検査のようなものがある。 

    CBT…Computer-Based Testingは、薬学生が実務実習を行うために必要な知識、態度が、一定の基準に達しているかをコンピューターを使って客観的に評価することが目的です。各大学は、定められた期間内で、大学ごとのスケジュールに合わせて試験日を設定します。引用元:CBTの概要 | 薬学共用試験センター

     

  • 五年生になると、病院実習・薬局実習をそれぞれ約10週程度行う。この時に、薬剤師の仕事を初めて体験的に理解することになる。

 

  • 六年生になると、卒業研究もある。そして、厄介なのが卒業試験だ。国家試験を受ける権利を得る試験ゆえ、大学側からすれば、合格率を低下させるような生徒を受けさせるわけにはいかないため、難しい。

 

 私立大学の場合、学費が一年で200万円ほどかかるため、金銭的な事情で辞める人も少なくない。親族の不幸など、予期せぬことが重なることも多いだろう。よほどお金に恵まれた家庭でなければ、卒業後も奨学金の返済のために働かなければならないのが一般的かもしれない。

 また、今回のような「ハズレ年」に当たることもあるので、六年でストレートに免許が取れるとは限らない。大学に入る前に浪人した彼女もそうだが、六年プラスαを費やして ドロップアウト というのは、受け入れ難いだろう。それでも、様々な事情で人は辞めていく。

 その上、何も知らない人からすれば、六年経てばほぼ自動的に免許が取れるという認識だと思う。現に、僕はそうだったし、薬学生の親御さんの中にもそう考えている方もいる。もちろん、それが本人のストレスになり得るのは言うまでもない。前章で言及したように、心療内科に通う子がいても不思議ではないのだ。

 そういった背景から、国家試験合格後~入社式までの期間だけが唯一と言っていい「休暇」になる。

 

 とは言いつつも、もちろん彼女は一例である。大して勉強せずに、さらっと合格してしまう人もいるのも事実。言い方を変えると、六年間、学び続けるだけの運が必要だと僕は考えるようになっていた。

「薬剤師って棚から薬を取って患者に渡すだけで良いよねえ」

 彼女にそう言って怒られた昔の僕は、薬を渡すまでの努力や過程を全く知らない無知な人間だったのだ。


 不安と期待で胸を膨らませながら、新しい門出に立つ。子供の頃はそれが当たり前だと思っていた。でも、挫折感いっぱいで春を迎える人、たくさんいるだろうな……。今までも、たくさんいたんだろうな、と今は思う。

 人生が大きく別れる季節。自分の人生の立ち位置を自覚せざるをえない季節。春とは本当に残酷な季節だ。

 

2014年3月中旬

 「予備校の申込みをしとって!」と、旅行中の彼女から連絡が来た。と言うのも、

 「今年は予備校に人が溢れて、入学できんくなるって言われとるって」

 ……なんだそりゃ。

 四年生から六年生になって、現場は薬剤師が2年間出ていないわけで。なのに、この様である。……厚生労働省は何を考えているんだろう、と誰もが思ったに違いない。そして、9月から始まる半年コースを言われるがままに申し込んだ。奇しくも、この日は彼女の誕生日でもあった。

「薬剤師目指さんければ良かったんかな。もっと違った人生があったんかなって。自分には向かなかったんだって。人より3年も遅れてなるなんて。知り合いすべてに申し訳ない感覚」

 自己採点後に呟いた彼女の言葉が、頭の中で甦っていた。

 

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